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森達也講演会「死刑 人は人を…」感想

私は『ご臨終メディア』等を読んで、森達也さんのミーハーなファンだったので、講演会に参加しました。

5月23日大阪の講演会で、森さんは、死刑を執行するボタンは5つあって、刑務官5人のうち誰のボタンで執行したのかわからないようになっていることや、処刑場にカーテンが作られて死刑執行の瞬間にカーテンがひかれるようになっていることを例に「そこまでして何故死刑をやるのか?」と疑問を出されました。

本の執筆のため3年死刑について取材したが、死刑を存置しないといけない理由はないという結論に達したそうです。

殺人事件など凶悪犯罪が過去最低を記録している(戦後では1950年代には3000件以上の殺人件数あったそうです。ピークのときより3分の1になっている)のに警察も政治家もマスコミも何も言わない理由を話されました。

森達也さんの『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』は、現在3万部近くまで売れているそうです。(アンパンマン)

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コメント

DHさん、お返事がおそくなりすみません。
>「自国条項」を指しているのでしょうが、これは「一般の犯罪被害者(遺族)の問題には関与しない」という意味で言及されたのでしょうか?

個別の殺人事件は扱わないだろう。というつもりで書きました。
が私の推測でありかつあいまいでした。混乱させて申し訳なかったです。

アムネスティ国際事務局が2007年4月1日リリース「死刑に関する一問一答」「http://www.amnesty.or.jp/modules/mydownloads/viewcat.php?cid=2
を一読くだされば、と思います。
2ページに、Q:暴力犯罪の犠牲者とその関係者を尊重していないのではないでしょうか?というものもあります。

今回コメントいただいて勉強になりました。ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2008年7月28日 (月) 14時34分

ご意見ありがとうございます。感謝いたします。今後とも色々勉強しながら、良心の囚人の釈放、拷問の禁止、公正な裁判の実施、死刑廃止、多文化共生等の活動を通じて世界人権宣言が実現する社会を目指していきたいと思っています。

投稿: アンパンマン | 2008年7月27日 (日) 09時45分

早速の御返答ありがとうございます。

アムネスティ創設のいきさつについては多少は存じております。所謂「良心の囚人」の問題に関する貴会の貢献は評価されるべきだと思います。様々な人権侵害に対して積極的に取り組んでおられることを否定するつもりもありません。

ただ、死刑廃止については釈然としない部分があるということです。

>アムネスティとしては、国内の個人を対象にしないという活動規約があります。
HPの下に書かれているとおり個別の人権侵害は、扱わないはずです。

「自国条項」を指しているのでしょうが、これは「一般の犯罪被害者(遺族)の問題には関与しない」という意味で言及されたのでしょうか?

>実際、死刑囚にあうために養子縁組をして遺族に謝罪に行かれるひともおります。

遺族に謝罪することができる(許される)のは死刑囚自身のみだと考えます。それ以外の人物が謝罪することなど一種の越権行為でしょう。

繰り返しになりますが、貴会の人権擁護活動を全否定する意図はありません。評価すべき活動も多々なさっていると思います。

私は外部の人間ですから、貴会に対して「ああしろこうしろ」などと命令がましいことを言う権限はありません。
ただ個人的な思いを述べたまでです。どうか御寛恕のほどを。

投稿: DH | 2008年7月23日 (水) 23時08分

DHさん、こんにちは。関心をもってくださりありがとうございます。
指摘されてはじめて、アムネスティ日本の6月17日のニュースリリースを読みました。http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=488
これでまちがいないでしょうか。国家権力による、と正義に反する、と犯罪的行為ということばは、どこにも見当たらなかったのですが・・・

アムネスティ運動の性格について、説明させてください。

アムネスティは、国際的な連帯によって政治囚の釈放を求めることからスタートした団体です。
具体的な活動は、あるところで特徴的な人権侵害の頻発しているようなとき、その典型的または代表的ケースを取り上げて、世界中の会員が手紙を送ります。

ビルマやジンバブエなら野党政治家および民主化支持者、中国ならチベットやウィグルの人々、人権擁護派のジャーナリストや弁護士、日本なら死刑制度(他にもあると思いますが)です。

アムネスティとしては、国内の個人を対象にしないという活動規約があります。
HPの下に書かれているとおり個別の人権侵害は、扱わないはずです。
会員が個人的に活動するのは自由ですが。
実際、死刑囚にあうために養子縁組をして遺族に謝罪に行かれるひともおります。

殺人という究極の人権侵害の犠牲者は、おっしゃるとおり被害者であったのであり、痛ましい許せないと感じる気持ちは会員誰しもあると思います。もっとも支えが必要なのは遺族だということに、どの会員も異存ないでしょう。

私が理解しているところでは、
アムネスティは、人を殺してはならない、人を尊ぶという考えから、あるいは世界人権宣言実現の願いから、殺人という罰は、どんなに許せない、どんなにひどい罪を犯した罪人であっても、やめましょう、という立場です。


投稿: 管理人 | 2008年7月20日 (日) 23時32分

丁寧な御返事ありがとうございます。

>死刑囚を「国家権力による犯罪の被害者、犠牲者としてのみ捉える」訳ではありません。

との御返答ですが、例えば、先日の宮崎勤氏他3名の元死刑囚に対する死刑執行に抗議する声明(2008.6.17)を拝読しても、国家権力による正義に反する犯罪的行為であるとして極めて厳しく非難されています。

他方、彼らが行った犯罪行為については一言も触れられてはいません。「そんなことは既に一般のマスコミ等で報道されているから改めて触れる必要はない」ということなのでしょうか。

誤解されると困るのですが、私はここで殊更感情的に「彼らの犯罪行為を糾弾せよ」と主張しているのではありません。そのようなことは避けるべきでしょう。

ただ、やはり「国家権力による合法的殺人」に対してはこれ以上ないほど強い調子で非難される一方で、当の死刑囚たちが行った犯罪行為に全く触れようとしない姿勢には疑問を覚えます。

例えば、

「○○○死刑囚たちが犯した行為は決して許されるものではない。我々としても法に則って適切な刑罰が科されるべきであると考える。単に刑の軽減を求めているのではない。

しかしながら、命まで奪う必要はないのであって・・・」

というような文言であればまだ納得できる部分もあるのですが。

投稿: DH | 2008年7月20日 (日) 21時05分

ご意見をありがとうございます。

DHさんがおっしゃるように、殺人は決して許されない行為です。その罪を軽く考えてはおりません。私たちは、死刑制度に反対していますが、冤罪の場合は別にして死刑囚を「国家権力による犯罪の被害者、犠牲者としてのみ捉える」訳ではありません。罪を犯したのであれば、当然にその償いとして刑罰を受けなければならないと思っています。ただ、死刑は、残虐であり、それ自体があらたな殺人にほかならない非人道的な刑罰だと思うのです。 

私人間の殺人は、それを犯した者も含めて誰もがそれは悪いことだと考えています。しかし、死刑は違います。それが悪いことだと一般に認識されていません。正義として堂々と合法的に行われています。私たちが死刑反対を懸命に訴える理由はここにあります。

拷問は、残虐であり非人道的なものです。例えどのような凶悪な事件を犯した犯罪者であっても行われてはいけないものです。同じように私たちは死刑もどのような凶悪な犯罪者であっても行われてはいけないものだと思います。

私たちは、死刑をなくしたいという同じ思いの人々と活動を共にしています。その中には、死刑廃止を訴えておられる被害者遺族の方もおられます。しかし、その考え方の違いによって遺族の方たちを評価し、ランク付けをするようなことはしたことはないつもりです。

投稿: T・H | 2008年7月13日 (日) 12時42分

はじめまして。
早速で恐縮ですが、貴会の論理は結局のところ

命を奪うという点では、死刑囚たちの犯した殺人も死刑も同じであるが、前者は私人間の行為であるのに対して、後者(死刑)は国家権力による犯罪であるから、次元が異なる。もとより私人間の殺人も許されるものではないが、国家権力による合法的殺人(=死刑)はそれ以上に絶対に許されない

というものだと理解しているのですが、どうなのでしょう。

一般的に言って死刑を求める被害者遺族には厳しく、他方死刑を望まない遺族に対しては行動を共にするなど高く評価されているように思います。

でも、死刑を望む遺族との対話こそ死刑廃止のためには重要なことだと思うのですが、貴会は初めから相手にしていないように感じられます。


>人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

この森氏の言葉は死刑囚たちにこそ投げかけられるべきものでしょう。仮に死刑廃止の立場を採るとしても、彼らが犯した行為の重大性を(私人間の犯罪だからといって)あまり軽く見るべきではないと思います。

私は決して死刑廃止に絶対反対とまで硬直してはいませんが、貴会の如く死刑囚たちをあくまで「国家権力による犯罪の被害者、犠牲者としてのみ捉える」姿勢には納得できません。

投稿: DH | 2008年7月10日 (木) 01時52分

『週刊現代』の6月7日号に森達也さんの文章載ってました。
『ならば現実に治安は悪化しているのか。昨年警察が認知した殺人事件の件数は1199件で、実は戦後最低でした。ちなみに戦後最高は1954年の3081件。安倍前首相が、あの時代はよかった、と言っていた『3丁目の夕日』の時代です。人口の増加を考慮すれば今はあの時代の4分の1に減少していると言えるでしょう。つまり治安は悪化などしていません。圧倒的に良くなってる。(後略)』
講演会の感想の関連として報告しておきます。

投稿: アンパンマン | 2008年5月28日 (水) 07時37分

ありがとうございます。
お返事がいただけるとは思いませんでしたので嬉しく思います。
冤罪の問題は別な要素であって、それは3重4重で防御を考えるべきものです。
司法で裁くのが原則でありますけれど、全く別の組織形態へ委ねる方式等も選択して、徹底的に審査すべきものと思いますが、それでも「冤罪」は万に一つは発生してしまうでしょう・・・人間の判断ですから完全を求めるのは不可能です、だからといって、僅かの確率のために、死刑に影響を与えてしまうものではあってはならないものと思います。

わざわざ会のようなところへ出席するのもなかなか出来ませんので、私の言いたいことをこちらのブログにて表現したいと思います。
私は積極的賛成ですので、あなた方に多分、相反しているのではないかと思います。
そのような見地から、議論し合えばきっと深みのある内容の濃いものが出来ると思いますので、ご面倒でも暫くは私に応接願えますか・・・・・
無理にとは言いませんが・・・・

投稿: ara | 2008年5月25日 (日) 21時44分

ご意見ありがとうございます。
アムネスティは、制度廃止の立場をとっています。存置賛成の意見をイベントなどでいただければ考えを深めることができ幸いです。是非ご参加ください。
個人的に申し上げれば、キェシロフスキのポーランド映画「殺人に関する短いフィルム」で、タクシー運転手絞殺犯が、絞首刑になるシーンが恐ろしくて身を固くして観ました。アムネスティに入るずっと前です。観る前は、タイトルが強盗殺人の殺人のことだと思っていました。観てからそうではないことがわかりました。またご覧になった感想をお聞かせください。ユーロスペースのHPで元のテレビ映画「デカローグ」(ある殺人に関する物語)を紹介しています。

投稿: 管理人 | 2008年5月25日 (日) 18時32分

ご意見ありがとうございます。冤罪の可能性がある以上、死刑が執行されてしまってから真犯人わかったとしても、死刑にされた人は生き返りません。取り返しがつかないと考えます。今後も考えていきます。

投稿: アンパンマン | 2008年5月25日 (日) 17時53分

始めまして、お邪魔虫です。
人は「ツケ」を払わなければなりません。
死にたくないと訴えている人を無残に殺したのですから、当然その人も同じ運命を甘受するのが自然ですし、むしろ利息も必要です。何の躊躇がありましょうか・・・・

殺人と死刑は違います。
死ななければならない理由が分からない死と予め死ぬ意味が分かっている死ではおのずから相違があります。
温情の無い、もがき苦しみ抵抗しなければならない死と一瞬で三途の川を渡れる死では、まるで格段の違いです。

人を裁くのはその事件時刻をもって裁くのが当然です。
人はどんな殺人者であっても探せばよろしい性質、性格も兼ね備えているものです。そういうものを探し出して情に訴えるのは、被害者の無念を踏みにじる行為です。やったことに対する「報い」は、同等の尺度で考えるのが必然です。


投稿: ara | 2008年5月25日 (日) 13時06分

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