報道されないブータンの同化政策
アムネスティの人権セミナー「忘れられたブータン難民の最新情報」の感想アンケート掲載の前に、難民が生まれた背景を記します。
1990年から91年にかけて、王様の宗教と民族とは異なる、ブータン南部のヒンドゥ教ネパール系住民への迫害の嵐がはじまり、言語、宗教、民族服などの同化政策が強行された。やがてレイプや村の襲撃に発展し、多くの被迫害者が隣国ネパールへ逃れて難民となった。
ネパール系住民の増加によって脅威を感じた支配民族が追放した、ということになっていた。
しかし時がたって、支配階級でも、王様と意見を異なる人、民主化を望んだ人が殺されたり追放されたりしたことがわかってきた。ネパール系増加の根拠となった国勢調査も実は当時行われていないことがわかった。1990年ころブータンで民主主義の動き、体制の汚職批判が出てきたときと、迫害の始まった時期が重なっている。
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コメント
「クローズアップNGO・NPO」
AHURA JAPAN
「設立のきっかけは」
1990年にアムネスティ・インターナショナルがブータン国内の人権心外を取り上げ、民主化運動家の釈放を求めた時、奈良の45グループがその中の一人、ラタン・ガズメルさんの担当になりました。ラタンさんが釈放された後に難民となり、ほかの難民とともに亡命先のネパールでAhura Bhutanを設立しました。
1993年3月に代表のリングホーファーさんがネパールを訪れた時、ラタンさんに日本での支援を求められました。幸いに京都在住のイギリス人女性、ジーニー・ドナルドさんがブータン国内の虐殺および追放を自分の目で見た後、日本でリングホーファーさんに紹介され、7月7日にAHURA JAPANを設立しました。
『自治体国際化フォーラム』より
投稿: 小谷 | 2009年8月 1日 (土) 07時11分