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5・26 日本軍「慰安婦」被害者証言キャンペーン 2013 in なら

主催:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク女性会議なら
    多文化共生フォーラム奈良 部落解放同盟奈良県連合会女性部
協賛:日本軍「慰安婦」問題解決全国行動

何度でも語る歴史の事実はこれです
再び戦争への道を歩まないために
 
2013年5月26日(日)12:30開場:13:00開始

奈良県人権センター(旧 奈良県解放センター)2階大研究室 地図
(近鉄奈良駅からバス約10分、JR奈良駅からバス約5分
「大安寺バス停」下車バス停から南200m徒歩3分)
 
講演  吉見 義明さん(中央大学教授) 
     ユン ミヒャンさん(韓国挺身隊問題対策協議会共同代表)
 
ゲスト キム・ボットン ハルモニ(予定) 
     キル・ウォノク ハルモニ(予定)

資料代 ¥800 学生¥400
 

金福童(キム・ボットン)ハルモニ
1926 年、慶州南道梁山生まれ。
1941 年、村の区長と日本人が来て、挺身隊として3 年間軍服工場で働くと言ったのに、連れて行かれたのは広東の慰安所だった。
監視がいて逃げ出すことはできず、ベニヤ板で仕切られたベッドがひとつあるだけの粗末な部屋で、暴力を日常的に受けながら「慰安婦」としての生活を強いられた。
1 日に15 人程度、週末は50 人を超える兵隊を相手にさせられた。
その後、香港、シンガポール、スマトラ、インドネシア、マレーシア、ジャワへと、軍隊に連れられ移動を続けた。
1946 年帰国。
体をひどく壊していたが、1 年後元気になった頃、母親が結婚するよう懇願するので、仕方なく「慰安婦」だった過去を告白した。
そのため、母は心臓病になった。
その後、釜山で結婚。
長い間寺に通って子どもを授かるよう祈願したができなかったし、「慰安婦」だったことを隠し通してきたので、夫に申し訳なく思っている。
1981 年夫と死別し、その後被害申告をした。

吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニ
1928 年、平安北道生まれ(現在の朝鮮民主主義人民共和国)。
1940 年、13 歳の時、「工場で稼がせてやる」と騙され、親にも知らせず付いて行った。
まだ生理もなかったのに、ハルピンの慰安所で気絶するほどの暴力を受けながら「慰安婦」としての生活を強いられた。性病治療と言われた手術で子宮を取られたが治らなかったので、1941 年、家に帰された。
1942 年、町で偶然、最初に騙した男に出会った。
震えあがっていると捕まって、再び中国の石家荘の慰安所に連行された。
逃げることもできず、「死ぬことになれば死ぬ、生きられれば生きる」とあきらめて過ごす日々だった。
1945 年、ようやく帰国できたがひどい格好でお金もなく故郷に帰ることもできなかった。
自分のことを知っている人に出会ったら恥ずかしいと、1人でひっそり暮らした。
1958 年、男の子を養子に迎えた。1998 年、テレビで水曜デモを観ながら嘆いている姿を家族に見られ、家族も知ることとなり、被害申告を行った。
現在、二人とも、水曜デモに先頭に立って参加している。
また、世界各国で証言を行い、平和と人権を守る大切さを訴えながら、2012 年3 月、二人で「ナビ基金」を立ちあげ、世界の戦時性暴力被害で苦しむ女性のために支援活動も行っている。

clover アムネスティの立場 clover
Annual Report 2013 ~Japan

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