旅行・地域

アイルランド旅行(後編)

北アイルランドの首都、ベルファストで二階建ての観光バスに乗って市内を回りました。

私は長く紛争の地となって来た北西地区に興味がありました。旅行者が勝手に足を踏み入れると今でも危険だといわれて、バスの中から見学することにしました。

その地区ではカトリック系住民の居住地とプロテスタント系住民の居住地が向かい合っており、それぞれの居住地に3m位の高い塀が作られ政治スローガンを盛り込んだ壁画が描かれていました。

ピカソのゲルニカの絵の模写、ハンガーストライキで獄死したカトリック系の若者の似顔絵、奴隷制度の廃止に貢献した黒人運動家の壁画、ブッシュ大統領を皮肉った絵などが延々と続いていました。

又過去の紛争に関って亡くなった慰霊碑もありました。

自己主張を張り合う絵の存在で辛うじて平和が保たれているという現実に胸が痛みました。そんな絵が取っ払われて、カトリックを信じる人もプロテスタントを信じる人もが自由に交われる日がいつの日か訪れるのを強く望みました。

(冬きたりなば)

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アイルランド旅行(前編)

スペインに住んでいる娘とダブリンで待ち合わせてアイルランドを旅行して来ました。

アイルランドはスウィフト、バーナード・ショウやオスカーワイルド等の文豪を生んだ地です。又、イギリス支配から独立を勝ち取ろうと幾度も戦っては負けたり、大飢饉によりアメリカへの移住を余儀なくさせられたり、北部では宗教上の違いで殺し合いが行われたり、イギリスを表とすればアイルランドは裏の歴史を歩んできているようで興味がありました。

アイルランドの面積は北海道とほぼ同じで、紀元前2~4世紀に渡来したケルト民族がこの地を統治していましたが、12世紀頃にヴァイキングやそれに続くアングロ・ノルマン人が侵攻しました。宗教上では5世紀に聖パトリックがキリスト教(カトリック)を布教し、ケルトが信仰していた自然崇拝と巧みに融合して独特の文化を生み出しましたが、16世紀の宗教改革でプロテスタントが誕生した事により、カトリック対プロテスタントの血みどろの争いが起こります。

1949年に、イギリス連邦から脱退してアイルランドが正式に成立しました。しかし、プロテスタント勢力の強い北部は北アイルランドとしてイギリス連邦に残る事を選択しました。1969年にカトリック系住民が公民権運動を起こしますが、それを警察隊が徹底的に弾圧をした事により、IRAのテロ活動に火がつき北アイルランド紛争は激化しました。やっと2005年7月に武装闘争終結宣言がなされ、今は落ち着いています。

(冬きたりなば)

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バングラデシュよりアッサラームレイコム

昨年バングラデシュはサイクロン「シダル」に襲われました。Oさんはバングラデシュで、被災した子供たちの支援活動をしています。

お元気ですか?

ご無沙汰しております。

みなさん、お元気でスピードの速い先進国、日本でご活躍の事と思います。

バングラに来てはや2ヶ月になりますが、最初は余裕がなく、メール等できなくて、すみませんでした。(インターネット環境のせいもあります。)

食べ物や服等十分でない環境においても、家族、コミュニティがしっかりしており、ネパールで感じたものと同じ、本当の豊かさを考えさせられます。バングラは最貧国、でも世界で一番幸せな人々とバングラ人から聞きました。少ないお金で暮らせるからだそうです。

児童労働で6歳くらいの子が真っ黒になってフェリーで食べ物を売っています。

働く子の責任感のある、でも憂いを秘めた顔の美しさは先進国ではみられないものだと思います。

バングラで一番美しいもの、それは間違いなく、働く子どもたちの真剣な厳しい表情だと思います。

悪い水のせいか、国家保障制度がないせいかはわかりませんが、身体障害者が物乞いをしています。

一昔前のアフリカの飢餓のような細さの母親の横で、7、 8歳の兄と妹が必死な顔で車に乗る外人の私に物乞いをしてきた時、一緒に乗っていたバングラ人はすぐに窓を閉めるよう言いましたが、胸が一杯で泣きそうになりながら、お金を渡しました。

その他、こちらにいる青年海外協力隊、国際赤十字、の日本人らとネットワークを築き、壁にぶつかったとき、支えられ、助けられています。

本当に世界各国から色んなNGOが入っている国、貧困、女性、災害等に対する援助の全てが揃っている国、多額の援助が入っているにも関わらず、なかなか発展しないのはなぜか。 

ここへきて、日本の良さを再確認すると同時に先進国から途上国へ来て生活する事による恩恵も又感じています。

KnK(国境なき子どもたち)のHPに写真入りで「バングラ活動報告」が更新されました。

見て頂けると光栄です。

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~⑨

■旅の終わりに・・・「開発とは幸せをわかちあうこと」(カマル・フヤル氏の言葉)

ダリッド女性達途上国NGO(女性の人権)として、現地の大変な状況にあるはずの女性は意外にも元気で幸せそうでした。自国を外側から眺める事ができた事は、ダリッド女性の状況を知れた事と共に、新鮮な発見でした。現地ネパール大学の勤労学生に、日本人は働きすぎ。家族との時間等ワークライフバランスの大切さを指摘される場面も。
ネパール現地人権NGOの活動を見に行くことにより、草の根の一人ひとりの小さな一歩、幸せの基準にまで思いを致した旅だった。042Lele村の英語学校にて(kiui)

テンプレート左列下に写真のコーナーがあります。そこにスタディツァーのときの写真がほかにもたくさんあります。http://amnesty-jpn45g.cocolog-nifty.com/photos/nepal/

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~⑧

■手工芸品生産者協会(ACP)のフェアトレード工場訪問

021 手工芸品生産者協会(association for craft producers)は、日本で講演を行ったきっかけで日本のNGOとつながりを持つ。活動はダリッド女性を優先的に雇用している。低所得者、農民等を優先。
消費ターゲット層はネパール中上流層、日本、アメリカ、欧州。児童労働の禁止。従業員の子供へのサポートも行う(奨学金、補助金拠出等)。
環境に配慮した工場であった。(kiui)

工場からの眺め027_2 

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~⑦

■ダリッド・ホームステイ先の方々の暮らし~後篇

ステイした家では、朝になると、鍬など農作業用の道具を研ぐ光景がみられた。火であつくなったトンカチで道具をたたき、研ぐのですが、動物の皮の袋の装置に空気を送り(手で縄をひっぱり皮袋に空気を入れ)、火の炎を大きく燃え上がせる仕組み。その技術・生活の知恵に感心すると同時に、それによる土床ほこりが3畳くらいの納屋いっぱいになり、座り作業される人々の健康(肺)へ及ぼす影響が心配になりました。

朝には、牛の乳搾りで、(始めは子牛に吸わせ、出るようになったら、人間が乳搾り)新鮮なヨーグルトを作ります。(kiui)

059

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~⑥

ダリッド・ホームステイ先の方々の暮らし~中篇

水は、井戸水をタンクにため、タンクからパイプで村の3ヶ所にまで送っている。水道ポンプの蛇口が出来た後、水運びは楽になった。

水道はFEDOからの援助で住民みんなで作る。(水のない所に井戸を作るプログラム34エリアにて。)資金半分:FEDO支援。半分:グループ貯金でまかなう。井戸は住民自身でデザイン)

家には、家畜がいました。牛、豚、等。(グループ貯金を利用し、豚やヤギを飼育。又家畜の数を増やし、売ることでお金を生み出す)

060 又、バイオガス(発生牛糞からガスと有機肥料構築機)を設置されている家の方は、(トイレから繋がったバイオガスで発電し、食事を作る)(今で7~8年目)バイオガスが出来るまでは、火をつけたら、その周りにいなければならなかったが、今は、その間、他の事ができるので助かるとおっしゃっていました。061 (kiui)

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~⑤

■ダリッド・ホームステイ先の方々の暮らし~前篇

043 旦那さん、奥様は歓迎して下さり、二階へ上がる時等、梯子が危ないからと手を取って下さる等、本当に細やかな心遣いを感じました。

日本の狭いマンション等に比べて、かなり広い家でこれには驚いた。日本の狭い住環境の方が途上国の環境だと苦笑。庭もあり、高級な一戸建て。ただ、中に入ると、電気は明かりのみ、かまどは土の竈で節約の為、コンロは買っていないとの事。

話を聞くと,ダリッド・非ダリッドで、家の違いは現在、あまりないとの事だった。これまでは、ダリッド達の家は離れて分かれて暮らしており、寺にも入れてくれなかったとの話を聞く。

道の脇の30センチ四方のお堂には、女神デビ(強い女神)が奉られており、お祝いがあればここにみんなが来ます。正月には、まずお寺へお参りし、親戚の家へ行く習慣。2世代前から続く習慣だそうです。子供達はお寺の横を通るときにはお祈りをします。(kiui)

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~④

■FEDO代表ドゥルガさん

創設者の一人である彼女の生い立ちは母親以外の周りの誰もが彼女を忌み嫌う環境で育ったといいます。

彼女が小学生の時、我慢できずに飲んだコップ1杯の水ですが、教師たちは、「お前は不可触民なのによくも水に触れたな!」と怒鳴りました。ダリッド女性としての痛みを知った彼女は、やがて教師になり、ダリッドの女の子も学校にいけるように啓発する活動を始めました。

彼女は博士課程まで修了し、国際NGOに所属、後ダリッド女性のために活動したいとの想いからFEDO創設に至りました。kiui

写真:ネパールはデモが多い015

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ネパール通信~ナマステの暖かい心を持つ人々~③

■FEDOの活動

グループ貯金による開発系インフラの整備

家畜飼育

劇活動(後詳述)

政策提言(政府・非ダリッドの人々へダリッドの人権を伝える)

葉皿作り(誕生日、結婚式、お祭り時使用の為、機械を用いて葉を固めて皿作り。)

アドボカシー活動(ダリッド女性、マスメディア、法律関係者、政治家)

グループ構築

生計向上事業への頭金拠出

健康・衛生面での助言等。

046 FEDOでは、女性グループ、男性グループがいくつかあり、日本ツアー参加者との交流集会にはたくさんのグループ、子供たちが参加。

そこで日本側からの出し物として、日本の精神的DVの寸劇を上演しました。

上演中、被害者(妻)に対し、言葉の暴力を投げかける加害者(夫)の台詞に対し、男性達が「お前の家はあんなのではないよな?」とひそひそささやきあう声もちらほら聞こえました。

また、男性グループから、「先進国・日本の人権状況がよくわかった、色んなメッセージを受けとった」とのコメントを貰いました。

041 ダリッドのlele村に着いてすぐ、ダリッドの子供達の「嫁と姑に関する問題」の寸劇(ストリートドラマ)を鑑賞しました。(FEDOの青少年人権教育の一環。台本も子供が作成。男尊女卑が題材。FEDOより、衣装・技術提供)ネパールにおいても嫁姑問題がある事を知り、人間は同じだなと苦笑した。事と合わせて、ホームステイした家の夫婦は大変良く、人権には、先進国も途上国もない、あるのは世界共通の人間性の問題であり、個人の問題だと実感した。暖かい笑顔はネパールの人達共通のものでした。(kiui)

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